物騒なんだか平和なんだかお隣のお嬢さん編


いかついその手に握られているのは、やや武骨なシースナイフと呼ばれているもので、
その名の通り、鞘(シース)に収められている型のもの。
フォールディングナイフは携帯しやすい折り畳み式の野外活動用を差すが、
折り畳みでないタイプは力を一点へ込めやすく殺傷能力も高い。
しかもアウトドア用というより狩猟用らしく、
一応はサイズもいろいろとあるが、往々にして持ち重りがする威嚇的なものが多い。
コンバットナイフの片面がのこぎり状になっているものはサバイバルナイフとも呼ばれ、
戦闘でというより設営などで工具として使われることも多い。
ダガーナイフは“対人用”とも言われている凶悪さで、
両刃という形状や危険性から日本では刃渡り5.5センチ以上のものは所持禁止となっている。

 “まあ、法規がどうこうっていうのはこういう輩には関係なかろうけどな。”

そういう常識云々は置いといてでも
そのような“凶器”を持つことで気分が上がる馬鹿者だったようで。
危険な武具への扱いに慣れているならともかく
ただただ気が大きくなるだけだったりするから始末に負えない。

 “まあ、あそこまで大きいのだと、ただの威嚇用でもないのかな?”

バタフライナイフなどをちらつかせ、
丸腰の相手を脅していい気になっているようなチンピラなら、言っちゃあ悪いが敵ではない。
素手での格闘で圧されまくってた挙句に引っ張り出したという順番ではあるし、
こぶしの繰り出し合いという段階でも一応その動作には腰も入っていたので、
荒事の場数は踏んでいそうながら、
そんな蓄積はあったはずのあれやこれや、
やすやすと避けまくられていたことに焦りが見えたあたり、
破落戸同士のいさかい、場末の修羅場で名を馳せていたレベルかと思われて。

 “まあ、そういうシチュエーションを嬉しいと思うような
  何はなくとも戦闘狂なんて奴はそうそう居やしなかろうからねぇ。”

スピードの乗った突きも蹴りも、
風鳴りをまとうほどに切れのいい手刀も見られたが、
躱されの払われのでダメージを与えず。
無駄な大振りもたたってのこと、肩で息をし始めたところへの相手からのターンが降りそそがれて。

 「……っ!」

外套の裾を優雅に翻しての攻勢は舞いのように鮮やか。
可憐な手による鋭い薙ぎ払いや、大きさにそぐわない重さの乗った拳、
軽快なステップの如く、安定して繰り出される回し蹴りなどなどが
連綿と飛んでくる畳みかけは もはや避けるしかなく。
ただただ追い詰められた末の悪あがき、
最終兵器のように掴み出されたシースナイフへ、
だが、相手の反応はやはり想定外のそれ。

 「いいのか?
  それを取り出した以上、こっからは正当防衛とかいう御託は効かねぇぞ?」

本来ならその手前で既に怯えたり震え上がったりしていよう、
美麗な面差しにコケティッシュな艶やかさをまとった蠱惑的な風貌へ、
冷たい笑みをジワリと滲ませ、そんなお言いようを紡いでくる。
スーツや帽子、外套にピンヒールと、
割とかっちりめのいでたちを黒コーデで決めた やや小柄なお嬢さんが、
背条を弓なりにすっくと伸ばしの、
身長差からすれば見上げているはずが
何故だか見降ろされているように感じる威圧満々な態度で言い放つ。
華のような美麗な容姿にそぐわない、何とも伝法な口利きが堂に入っているのも、
思えば彼女が只者ではない裏付けだろうに、

 「…っ、調子こいてんじゃねぇっっ!」

攻撃を散々躱されの、振り回され弄ばれたことで
すっかりと頭に血が上り切っていたのだろ。
いかつい大男が がなり立てつつナイフをぎちりと掴み締めると、
避けようともしない相手へ突っ込んでゆく。
一気呵成、勢いだけの特攻へ、
標的だったご令嬢の、唇の端を釣り上げてニンマリ笑った余裕の態度が
破落戸野郎に果たして何処まで見えていたものか……。




時間帯のせいもあってのこと、人通りのない昼下がりの生活道路の端の端。
人知れずの格闘が音もなく終止符を打つ。
小山のような猛牛をいなすマタドォルのように、
鬼ごっこにもならんと颯爽とその身を宙へと躍らせたそのまま、
指先部分を唇の端で軽く噛み、余裕で脱いだ右の手套。
そこから現れたすんなりと綺麗な指をぱちんと鳴らした途端、
突進の中途で地へと叩き伏せられの、触れもせで仕留めてしまった鮮やかさ。
その直前の軽い打ち合いでこっそり触れていた、
相手の身につけていた服のボタンやらベルトのバックル、
ジャケットのファスナーやらへと仕掛けてあった“おまじない”を発動させたまで。
重力に引き留められて、地面へ勢いよく叩きつけられた格好、
それは気持ちよく(?)昏倒した破落戸であり。
そんな“結果”にはもはや見向きもせず、

「汚れてねぇかな。」

身支度のチェックよろしく
その場でクルリと回って、自身の身のあちこちを見回す幹部殿なのへ。
小さく咳ばらいをしつつ、

「塵一つついてはおりませぬ。」

応じたのもまた別な少女の声で。
硬い靴音と共に、横手にあった細い路地の暗がりから踏み出してきたのは、
やはり漆黒の装い、足元まであろう外套をまとった痩身の少女が一人。
こちらは丁寧な口利きながら、手荒な応酬の場にいなかったのは、
か細い容姿にそぐうてのこと 荒事や相手の野卑さに臆したからではなく、
こんな手合いなぞ自分一人で充分と、上役の彼女から手出しを禁じられていたせい。

 “格下にもほどがある手合いだったし。”

本気で対峙していたならば、
向かい合ったそのままあっという間に鳬はついていたはずだが、
この後に逢う約束を取り付けている相手があり、
物騒な匂いや気配を貼り付けてなんて無粋な真似はしたくはなく。
それでと思い切り手を抜いて相手をしたまでのこと。
むろん、こんな無粋な存在へこれ以上触れるつもりもなく、
組織の下部組織、隠匿専門の後始末部隊へ連絡をいれ、
何事もなかったよう、大きな破落戸を回収するよう指示を出す。
放っておいても勝手に意識は回復するだろが、
逆恨みからあちこち嗅ぎ回られても面倒だ。
何せ、これから聖誕祭だの年末年始だのと、ヨコハマの街も浮足立つ頃合いだけに、
表立ってではなく陰ながらではあれ、安寧を守っている組織としては、
自分たちや探偵社に手間取らせるよな、しょむない要素を放置する手はない。
そして、この程度の輩を相手に一応 念のいった手配をする重力使いの幹部殿なのへ、
さもありなんと胸の奥にて納得している黒狗使いさんだったりもし。

 “人虎が相手ではな。”

駅前などのメジャーな待ち合わせの場所で、
堂々と逢瀬をする彼らじゃああるが、
虎ちゃんはその異能のせいでか、
まだまだ距離があるっていうのに、こちらの気配がはやばやと判るほど鼻が利く。
何だ何だと周囲がざわつく勢いで、
とんでもない距離から駆けて来て飛びつくのは無しだと、
……そういう前科があったらしい虎の子ちゃんへ、
良い子だから手が届く距離までステイしていろという約束をしているそうで。
うずうずそわそわしている敦ちゃんの可愛さに
物騒な気配を嗅がせて水を差したくはないからと、
考えようによってはかなりがところ履き違えて案じておいでの幹部殿だったりし。
収拾班が来る気配を察した黒夜叉姫、
此処は任せてと胸元に手を伏せて頭を下げれば、
それで意も通じてのこと、
中也の側も小さく会釈をし、多くは語らずに背を向ける。
ヨコハマの街のよくある風景が静かに片付いた一幕だった。





     〜 Fine 〜    24.12.24.


 *前のお話から半年近く経ってますね。
  あまりに暑い夏だったのと、不定期で忙しかったのに振り回されておりました。
  最近は歯医者への通院も始まってますし。とほほ
  世間様では色々ありすぎる辰年でしたが、個人的には変わり映えのしない一年でした。
  来年こそは景気も回復していっぱい恵まれる年になりますように。
  ちょっと早いですが、よいお年をvv